私の自己満足で無駄に1ページ費してしまったが、いよいよ仮面の男が見たものについて明らかにしていく。
ところで、前ページで述べた2つの仮説は、作中には直接登場しないが、過去に起きたかもしれないことを想像した内容だ。
前ページでも述べた通り、仮面の男とエルが生前に接触している場面は非常に少なく、死の間際だけである。
あまりに情報が少ないため、何かあったとすれば直接描かれていない過去だろう、と考えるのは至極当然のことだ。
しかし、逆に考えれば過去、つまり日常的な場面が描かれていないのはそれが物語を構成する上で重要ではない、取るに足らないものだからとも考えられる。
話を読み解くために必要な情報は、全て揃っているのかもしれない。
第3の説は、そういう方向から探っていくことにした。
正直、私自身あまり期待はしていなかった。
何度も述べているが、情報が少なすぎてエルが狂気を見せる猶予なんてあるようには思えなかったためだ。
それでも曲を聴きながらじっくり考えた末、ようやく見つけた。
見つけたのは44番目のトラック。
話の流れで軽く触れてはいるが、改めて詳しく見ていこう。
遠くで聞こえる風の音、扉が開き、強い風の音。
仮面の男とエルが暮らす家は雪に覆われている地域と考えられるので、吹雪だろうか。
扉が開いた後に仮面の男のセリフ、「ただいま、エル」。
扉が閉まりエルのセリフ、「おかえりなさい、パパ」。
いいや、違う。
正確なエルのセリフは「おかえりなさい、パパ。うふふ」である。
エルは仮面の男に笑みを向けているのだ。
ほんの些細なことにも見えるエルのこの笑顔こそが、エルが抱える狂気の存在を決定付けている。
普通に考えれば、これはただ仮面の男が帰宅する場面である。
仮面の男がエルにただいまと呼び掛け、エルもおかえりなさい、とうれしそうに応える。
とても微笑ましい場面と言えるだろう。
エルかわいいよエル。
しかし、それはおかしいのだ。
なぜなら、仮面の男が瀕死の重傷を負っているからだ。
Elysionにおいて、仮面の男がエルのいる家に帰宅する場面は1つしかない。
「エルの天秤」で背中を刺された後、這い擦りながらもなんとか帰宅するが、その後息絶える場面だ。
この1つだけである。
44番目のトラックがその場面であるとしたら、当然仮面の男はぼろぼろである。
流血しているし、雪の上を這い擦ったのなら服だってぐちゃぐちゃのどろどろのはずだ。
それでもエルに不安な思いをさせまいと、家に入る時ぐらいは力を振り絞って立ち上がり、平然を装ったかもしれない。
だが、帰宅後死亡してしまうほどの傷、とてもごまかせるようなものではないだろう。
普段通りに振る舞おうとしてもできなかったはずだ。
明らかにいつもとは違う、異常な状態である。
エルはそのような状態の仮面の男を見て笑っていることになる。
どう考えてもおかしい、不自然である。
只事ではない様子の仮面の男を見たら、気が動転して体が弱いのに駆け寄ろうとしたり、泣き出してしまったり、少なくとも心配するのが普通だろう。
だと言うのに、なぜエルは全く取り乱さず、それどころか笑っているのだろうか。
まず考えられるのは、これが「エルの天秤」後の出来事ではない、ということだ。
それより前など、全く別の場面であれば仮面の男の帰宅をエルが笑顔で迎えてもおかしくはない。
これを否定することはできない。
2人のやりとりはそれぞれ一言ずつしかなく、また内容もごく一般的なものである。
そのため、これがいつ行なわれたやりとりなのか特定することはまず不可能だ。
しかし、逆に言えばこれが「エルの天秤」後の出来事である、という可能性を否定することもできないのだ。
現時点ではエルが仮面の男を笑顔で迎えている、という点が噛み合わないため、その可能性は低いと言わざるを得ない。
だが、その矛盾点が解決すれば、このやりとりが「エルの天秤」後のものである可能性はある。
よって、ここではこのやりとりが「エルの天秤」後のものである可能性を考える。
そのために必要なのは、やはりエルの笑顔の理由だ。
エルは実は盲目のため、仮面の男の状態が分からなかった、ということも考えられるが、この可能性は低いだろう。
なぜなら、エルは誕生日に絵本を欲している。
これが仮面の男が外出中に自分で読むものだとすれば、エルが盲目である可能性は低い。
家の間取りから、家の玄関付近はエルの位置から見えず、仮面の男の姿が確認できなかった、という可能性もある。
間取りがどうなっているかなんて情報はないため、否定はできない。
しかし、2人はそれぞれ「エル」「パパ」と呼び合っているため、直接対面していると考えた方が自然ではないだろうか。
また、対面していない場合、エルは何に対して笑ったのか説明がつかない。
単に仮面の男の帰宅を喜んだだけ、とも取れるが。
これ以上の自然な理由は私には思い付かない。
どうにも、自然な理由ではエルの笑顔を説明することは難しい。
ならば、エルの笑顔には自然でない、異常な理由があると考えるべきではないだろうか。
つまり、こういうことである。
肉体関係も仄めかされている程度には男女として愛し合った相手が、今まさに死にかけている。
相手が死んでしまうと、自分の命だって長くは保たない。
そのような絶望的な状況に直面してなお、笑顔を浮かべていられる。
エルはそういう少女である、ということだ。
エルは狂っており、この笑顔はエルが抱える狂気の片鱗。
そしてこれこそが、仮面の男が見たエルの狂気である。
エルが本当に狂っているのかは分からないが、少なくとも仮面の男にはそう見えてもおかしくない。
手塩にかけて育てた愛しい理想の少女が、今にも死んでしまいそうな自分を見て微笑んでいる。
自分が教え込んだわけでもないのに、そのような行動を取っているのだ。
仮面の男がまともな神経をしていたら、想像を絶する恐怖を感じたのではないだろうか。
それとも、やっぱりエルはかわいいなぁ、などとこの期に及んでまだそんなねぼけたことを考えていただろうか。
考えていそうだなぁ。
おそらくは、普段は仮面の男の理想通りの少女だったのだろう。
しかし死に直面して初めて、エルが抱えていた狂気が表面化した。
そのため、ここに至るまで仮面の男はエルが狂気を抱えていたことに気付けなかったのだ。
そして、仮面の男はこの後死亡してしまう。
エルが狂気を抱えていることには気付けたが、見ることができたのはその片鱗だけである。
エルの狂気の本質に至ることは、仮面の男にはついに出来なかったのだ。
それでも仮面の男なりにエルの笑顔の理由を考え、Arkなど5曲に登場する少女たちに、生まれ変わりの可能性からエルの面影を見出した。
Arkの少女には、愛した相手と死後の世界という楽園へ行ける喜びから来る笑顔である可能性を。
Baroqueの少女には、愛した相手を死亡させる罪という深い絆を得られる喜びから来る笑顔である可能性を。
Yieldの少女には、愛した相手が死亡すればずっと一緒にいられる喜びから来る笑顔である可能性を。
Sacrificeの少女には、愛した相手を盲目的に信じ、共に死んでいける喜びから来る笑顔である可能性を。
StarDustの少女には、愛した相手と同じように死んでいける喜びから来る笑顔である可能性を。
それぞれ、そんな感じの可能性を見出したのではないだろうか。
ちなみに上記の可能性は適当にぱっと思い付いた、割といい加減なものなので、変に感じてもあまり気にしないでほしい。
具体的に書くと、それだけで1人1ページは使ってしまうだろう。
ともかく大体こんな具合に、死の間際エルが見せた笑顔の理由を各少女に見出したのではないだろうか。
しかし、仮面の男は少女たちがエルの生まれ変わりであると確信することはできなかった。
その理由は2つある。
1つは、仮面の男がエルの狂気の本質を把握していなかったこと。
そしてもう1つは、少女たちが抱える狂気の本質がエルのそれとは違っていたことだ。
その結果近いものは感じ取れても違和感が残り、確信には至れなかったのだ。
44番目のトラックの冒頭にある、オルゴールのメロディについても触れておく。
このメロディは、Arkなど5曲の冒頭のセリフ中に流れるメロディとつながる。
つながる順番は5曲の後である。
それだと一見、44番目のトラックの内容は死後のことであり、5曲より後の出来事だとも考えられる。
しかし、こうは考えられないだろうか。
Arkなど5曲で仮面の男が行なっている、おかしな少女たちにエルの面影を見出すという奇妙な行動。
その行動を起こすきっかけとなった出来事が、答え合わせのような感じで隠しトラックとして最後に収録されているのだと。
実際、この隠しトラックがなければ、仮面の男はエルの狂気を見ることができないのだ。
そう考えれば、何気ないやりとりが隠しトラックになっているのにも納得が行く。
というわけで、44番目のトラックが「エルの天秤」後の出来事であるなら、エルは狂気を抱えていると言える。
先にも述べた通り、いつの出来事なのかは特定できない。
また、どのような狂気から愛した相手の死に際して微笑むという行動が発露したのかも不明だ。
よって、これではまだまだ憶測の域を出ない。
エルの狂気の本質、それが分かれば、内容によっては信憑性が高まると思われるが。
さて、まだ憶測の域を出ていないが、これで仮面の男と同じ位置に立てたのではないだろうか。
仮面の男は死の直前にエルの狂気を垣間見、死後それを元にエルを求めた。
これ以上の情報を仮面の男の行動から得るのは難しいだろう。
まだエルの狂気の本質には至っていない。
エルはどういう理由から瀕死の仮面の男に対して笑顔を見せたのか。
この上は、エルのことを直接知る必要がある。