ようやくエルの話である。
エルお待たせエル、かわいいよエル。
さて、前ページで仮面の男が死後おかしな少女たちにエルの面影を見た原因を明らかにした。
死の間際に見たエルの笑みがその原因だが、その行動の根源にあるものは不明である。
仮面の男は推測で根源に至ろうとしたが、おそらくそれはうまく行かなかった。
ならば、仮面の男が知り得ない、もしくは知っていても認識していないであろう情報を用いて、エルの根源にあるものを追求する。
具体的には、エルの行動やセリフなどに奇妙なところがないかどうか見直す。
エルがどこかおかしいのなら、それは存在するはずである。
見直した結果、奇妙な点はいくつも出てきた。
それらを順に説明していく。
まずは、「エルの楽園[→side:E→]」における楽園への問いかけの内容である。
どんな花が咲くの?
どんな鳥が歌うの?
体はもう痛くないの?
ずっと一緒にいられるの?
どんな恋が咲くの?
どんな愛を歌うの?
心はもう痛くないの?
心が痛いとはどういうことだろうか。
エルは心臓に病気を抱えていて、そのため心、つまり心臓に痛みを感じるのだろうか。
エルは体が弱いため、その原因として可能性はありそうだが、前後のつながりを考えるとそれ以外の可能性も出てくる。
似たような問いかけに「体はもう痛くないの?」というものがあるが、この2つの前にある問いかけを見比べる。
「体はもう痛くないの?」の前は、どんな花が咲くか、どんな鳥が歌うか。
「心はもう痛くないの?」の前は、どんな恋が咲くか、どんな愛を歌うか。
前者は物理的な内容、後者は精神的な内容である。
とすれば、「心はもう痛くないの?」とは、精神的なダメージを指すと考えるべきではないだろうか。
しかしながら、エルは精神的なダメージを負っているだろうか。
考えられるとすれば、仮面の男に関することくらいだが。
仮面の男は仕事の内容が内容だけに、毎日朝に仕事に出て夕方頃帰宅、といった規則正しい生活をしているとは考えにくい。
夜出て行って明け方に帰宅、ということも少なくないのではないだろうか。
そして、それはエルの体が弱いことが原因となっている。
仮面の男がそのことを直接話さずとも、エルが感付いてもおかしくはない。
それに、最終的に仮面の男は瀕死の状態で帰宅するのだ。
エルが心優しい子なら気に病んで当然だろう。
だが、エルは瀕死の状態で帰宅した仮面の男を見て微笑んでいる。
だからと言ってエルが仮面の男に対し全然心を痛めていない、と断言するのは少々早計だ。
とはいえ、どうも腑に落ちないのもまた事実である。
それより、もっと分かりやすく精神的なダメージを負っていそうな人物がいる。
それはエルが問いかけている相手、つまり仮面の男である。
仮面の男はエルのためとは言え、様々な悪事に手を染めている。
死後、地獄に堕とされる程度には罪深い人物である。
また、それ以前にもエルを手に入れるために1人の女性に騙すような行いもしている。
極悪非道とはまさにこのことだろう。
確かに、仮面の男は合理性を重視する余り、他者を省みない部分がある。
しかし、そのことを全く気に病んでいないのだろうか。
「エルの天秤」での言動を見る限りでは、割とノリノリに見えるけど。
ちょっとでも良心が残っているなら、多少は気に病むはずである。
残ってなさそう?
それもそうだな。
それで、仮に仮面の男がほんの少しは良心の呵責に苛まれていたとして、エルがそのことを気にして問いかけたとする。
しかし、それは奇妙な話である。
エルが仮面の男の悪事について知っているとは考えにくいためだ。
病弱な愛する娘のために多くの人を犠牲にした。
愛する娘を誕生させるために1人の女性を騙した。
そんな話を仮面の男がエルにするだろうか。
普通に考えればするはずがない、墓場まで持って行くような内容である。
なのに、エルはそのことを知っているかのような問いかけをしていることになる。
仮面の男だってドキリとしたのではないだろうか。
奇妙である。
次は、エルの絵本だ。
【魔女とラフレンツェ】、そして【笛吹き男とパレード】。
なぜこの2つがエルの絵本なのだろうか。
片やエルの出生に、片やエルの死後に、それぞれ関係していそうな内容。
しかしそのどちらも、エルが知っているとは考えにくい内容である。
エルが自身の出生の秘密について、仮面の男から聞かされていないだろうことは先ほど述べた通りだ。
にも関わらず、【魔女とラフレンツェ】はエルの絵本として存在している。
エルは自身の出生の秘密を知っているのか、あるいは別の理由か、もしくは全くの偶然なのか。
【笛吹き男とパレード】の方はもっと奇妙だ。
死後のことなんて、エルはもちろん仮面の男でも知らないはずである。
体の弱いエルが自身の病気かなにかから解放されて、絵本の内容のような楽しげな光景に憧れていた、とも考えられるが。
絵本を購入するのは仮面の男であるため、これらが存在するのは偶然、もしくは仮面の男の趣味だとも言える。
しかし仮面の男が絵本を購入するに当たって、常に無作為、あるいは自分の趣味で選ぶだろうか。
最初はそうだったとしても、エルに次はどんな内容がいいか聞いたり、あるいはエルからリクエストされることも考えられる。
具体的なタイトルの指定はできずとも、ある程度の方向性くらいはエルが操作できそうである。
それなら、この2つがエルの絵本として存在しているのには、エルの意思が関係している可能性も捨て切れるものではないだろう。
というわけでエルの意思が介在している可能性はありそうだが、エルがリクエストするとは考えにくい2つの絵本の存在。
奇妙である。
では次、楽園についてだ。
エルは「エルの楽園[→side:E→]」において、楽園への興味から仮面の男に問いかけを繰り返す。
「ねぇ…お父様 その楽園ではどんな花が咲くの?」
一方、エルは「エルの楽園[→side:A→]」において、誰かの嗚咽を聞く。
「楽園で泣くはずないわ だって楽園なんだもの」
エルは「エルの楽園[→side:E→]」において、「その楽園」とやらに憧れている。
しかし「エルの楽園[→side:A→]」においては、おそらく死の間際、泣いている誰かに対し「楽園」で泣くはずがないと言っている。
これでは楽園が2箇所存在することにならないだろうか。
当初、私はなんとなく、ElysionとABYSSというのは楽園と呼ばれる場所の二面性であり、実際には同じ場所なんだろうな、と考えていた。
「エルの楽園[→side:A→]」のラストで「その楽園の名は『ELYSION』またの名を『ABYSS』」とあるのくらいしか根拠がないが。
しかし、このエルの口振りからすれば、誰かが泣いている場所は楽園であり、花が咲いていたり鳥が歌っていたりするかもしれない場所もまた楽園である。
おそらく、楽園は本当に2箇所に存在するのだろう。
「エルの絵本【魔女とラフレンツェ】」に、「二つの楽園を巡る物語は 人知れず幕を開ける」とある。
絵本の中だけの設定とも考えられるが、この表現が存在する辺り作中に楽園が2箇所存在する可能性はありそうだ。
死の間際にいる場所が「楽園」で、死後に存在する場所が「その楽園」、エルの口振りからすればそんな感じだ。
ここまではとりあえずいいだろう。
だが、どうもエルは楽園について詳しく知りすぎている。
「エルの楽園[→side:E→]」では「その楽園」に興味津々で、仮面の男に問いかけを繰り返している。
なのに、「エルの楽園[→side:A→]」ではどうか。
本当はね…知っているの…
第4の地平線 その楽園の正体は
そこから語られる「その楽園」の情景は、仮面の男に問いかけていた内容とはまるで正反対の内容である。
空は荒れ木々は枯れ花は朽ち果て、大地は腐敗し闇の底へと堕ちていく。
仮面の男に問いかけていたのが天国なら、こちらは地獄のような雰囲気だ。
エルはなぜそのような場所を楽園と呼んでいるのか?
そもそもエルはなぜそんなことを知っているのか?
そんな絵本を読んだことがある、と説明付けることもできるが説得力に欠ける。
それで知っていたところで、とても楽園とは呼び難いそれを楽園と呼んでいるのが引っかかるためだ。
奇妙である。
3つほどエルの不可解な行動について説明したが、共通しているのはどれも本来エルが知らないであろうことを知っている、ということだ。
エルは読心術でも使えるのか、それどころか心を読む超能力でも持っているのか。
それでも【笛吹き男とパレード】や楽園については解決できないが。
エルの不可解な行動はあと1つ、非常に不可解なものがあるのだが、これもエルが知っているとは考えにくい情報を元に行動している点は同じである。
しかし、これ以上は長くなりすぎてしまうので、それについては次のページで。