根拠がー矛盾がーと、お前にとってElysionは推理小説か何かかと言われかねない私の考察だが、いかがだっただろうか。
私としては、疑問が解決し矛盾も生じていなさそうなので、割と満足している。
さて、この考察においてElysionという物語の結末は、ハッピーエンドを迎えられたと言えるのだろうか。
解釈は人それぞれだろうが、私はそう思わない。
2つの楽園でも触れたことだが、仮面の男とエルは結ばれ、それは死後も変わらない。
そこだけ見ればハッピーエンドに見えるが、このままでは確実にバッドエンドだろう。
このままでは、とは、私の解釈では物語はまだ完結していないからだ。
2人に限ったことではないが、この物語では人は生まれ変わりを繰り返す。
生まれ変わりを繰り返した末に、2人はまたいつか巡り会い、同じような出来事が繰り返される。
とすれば、まだ物語は終わっていない、もしくは永遠に惹かれ合い、結ばれるのを繰り返すハッピーエンドと言えるかもしれない。
ところで、よその考察において、こういうものがあった。
仮面の男は地獄に堕ち、エルは天国へ導かれ、2人は完全に別たれる。
仮面の男はなんとかエルと再会しようと奮闘する。
しかし、そのような手段は存在せず、そのことを知っている人物が仮面の男を嘲笑う。
仮面の男はエルを永久に失いバッドエンド、というようなものだ。
物語を見ている私達から見れば、確かにバッドエンドだろう。
しかし仮面の男も同じようにバッドエンドと感じているかと考えると、私は違うと思う。
エルと再会しようと試行錯誤を繰り返している時、仮面の男は希望を感じているはずである。
そうでなくても、例えばお祭りは準備している時が一番楽しいなどと言われるように、試行錯誤すること自体に喜びを感じていそうである。
最終的に、どうやってもエルに再会できないことを悟り、絶望したとする。
それでも、私はそれをバッドエンドだとは思わない。
いかに強靭な精神をしていようと、絶望はするだろう。
だからといって、その絶望が永久に続くとは考えにくい。
愛した人との永遠の別れは辛いものだろうが、やがてそれはその人と一緒に過ごした日々が、楽しかった思い出として昇華される。
そもそも、天国と地獄でなくても、親しい人と永遠に別たれた経験をした人は現実でもかなりの数いるはずである。
伴侶、恋人、親友、両親、兄弟、子供など。
そのような関係にある人に先立たれた経験を持つ人全員が、ずっと絶望し続けているだろうか。
必ずしもそうではないはずである。
正直に言ってしまうと、愛する人と永久に離れ離れ、だからバッドエンド、なんて安直すぎやしないか、というのが私の意見である。
そんなこと言い出したらお前にとってのバッドエンドってなんなんだよ、と言われてしまうかもしれないが。
では私の考えるバッドエンドについて、私の考察がそうであるという理由と共に説明する。
生まれ変わっても2人が再び巡り会えば同じ出来事が繰り返されると述べたが、そうならない可能性がある。
繰り返しの中で変化するものがあるからだ。
それはリセットがかからないエルの記憶である。
繰り返せば繰り返すほど、エルは死後の世界への依存を強め、歪んでいく。
そうして歪み続けていった末に起こること、それは仮面の男ですらエルを見限ってしまう、ということである。
悪感情による関係の破綻が起きるとどうなるか。
容姿こそ理想だったけど中身がとんでもなかったな、と仮面の男は思うだろう。
最初は受け入れてくれたけど結局あの男も私を捨てたな、とエルは思うだろう。
そして、そのような思い出は、時と共に忘れ去られる。
訪れるのは、物語として成立すらしない、関係の消滅である。
現実でも、喧嘩かなにかで関係が破綻した経験がある人は少なくないと思う。
その時に、縁が切れて清々した、などと思った人もまた少なくないだろう。
しかしながら、関係が悪化した時は相手のことを悪く思っていても、それ以前は楽しい思い出があったということも、やはり少なくないはずである。
であれば、そのような楽しいことが続かなくなってしまったこと、失われてしまったことは、悲しむべきであると私は思う。
それを悲しいと感じることすらできないのは、やはり悲しいことではないだろうか。
はっきり言って、綺麗事だが。
死などによる別離を関係の終焉を呼ぶとすれば、こちらは関係の破局である。
そしてそれこそが、私の考えるバッドエンドである。
仮面の男も見限ってしまっては、いよいよエルは一人ぼっちかもしれない。
仮面の男が、エルを受け入れられる最後の1人かもしれないからだ。
それを避けるにはどうしたらいいのか。
考えられる方法は2つある。
1つは、エルの記憶が生まれ変わりでリセットされるようになること。
エルの魂のサイクルの異常が解決すれば、エルも常人と同じように生きられるはずである。
しかしながら、解決はもちろん、原因からして不明である。
よって、この方法は根本解決になるもののあまり現実的ではない。
もう1つは、仮面の男にがんばってもらうこと。
問題の先延ばしにしかならないが、仮面の男がエルを受け入れてさえいれば、エルが一人ぼっちにはならない。
こちらは先程の方法と違って、十分現実的である。
がんばれ仮面の男。
あなたが愛し続ければ、その少女は文字通り未来永劫あなたを愛してくれるぞ。
がんばれ。
今後についてだが、番外編としてArkなど5曲について考察しようと思う。
とはいえ、その内容について細かく考察したりはしない。
他者の考察と大体同じような感じになることは目に見えてるし。
そこで、仮面の男が各曲の主人公である少女に見たエルの面影について考察する。
それについては一応以前にも述べてはいるのだが、内容が凄まじくいい加減だったので、改めて。
考察を書くたびにtwitterにつぶやいていたけど、びっくりするくらい誰も見ないのは意外だった。
書くたびに見ている人の数、1桁である。
ハッシュタグ付けてつぶやいているので、もう少し見てもらえるものかと思っていたのだが。
他の人の考察なんか割と誰も興味ない、いや考察自体興味ある人が少ないのだろうか。
それとも、Sound Horizonがすっかり過去のものとなってしまったのか。
前者ならともかく、後者だったら悲しいことだ。
もっとCD出して…いや、それで1作の質が落ちてもらっても困るな。
最近何やらブルーレイが出たようで、気にはなる。
なるのだが、私はドライブもプレイヤーも持ってないので、買っても視聴できない。
なので、今一つ買う気が起きない。
最後になるが、私には1つ気掛かりなことがある。
私たちはみんな、自分自身で覚えてはいないだろうが、泣き声を上げて生まれてくる。
おぎゃあおぎゃあと生まれてくるわけだが、一体何をそんなに泣いていたのだろうか。
まさかとは思うのだが、楽しいパレードから去らなければならなかったことを悲しんでいたわけではあるまいな。
それ自体を覚えてはいないものの、かすかに残っていた喪失感から泣いていたわけではあるまいな。