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個人研究 - Sound Horizon - 今更Elysion考察

大きな疑問


ここまではほんの序章。
ここからが本編である。

その前に、ここからは仮面の男の娘についての話が多くなると思う。
Elysionには少女が多く登場するので、混同を避けるためにこれからは仮面の男の娘を指して「エル」と呼称する。
本名と思われる「エリス」だと肖像画の少女と混同してしまうため、仮面の男の呼び方に倣う。
エルかわいいよエル。

さて、Elysionにおいて私が最も疑問に思ったのは以下の点だ。


Arkなど5曲の冒頭に「彼女こそ私のエリスなのだろうか」というセリフが入っているのはなぜか?


これだけでは何が疑問なのか分かりにくいと思うので、より詳しく説明する。

セリフを発したのは仮面の男と思われるため、「私のエリス」とは自分が理想とした少女、もしくはそれを体現した存在であるエルのどちらかを指すことは間違いないだろう。
しかし、どちらであっても奇妙だ。
問題は「彼女こそ」の部分にある。

「彼女」というのはArkなど5曲に登場する主人公格の少女のことだろう。
各曲の最後に仮面の男が接触を図るため、まず間違いない。
だがこの「彼女」たち、ご存知の通り揃いも揃ってどこかおかしいのだ。

Arkに登場する少女は兄と愛し合ったが後に拒絶され、最終的に殺害してしまう。
Baroqueに登場する少女は同性の人物に好意を伝えたが拒絶され、直接手を下したとまでは書かれていないが石段を転がり落ち、死なせてしまう。
Yieldに登場する少女は三角関係の末、詳細は不明だが誰かの首を刈り取ってしまう。
Sacrificeに登場する少女は火あぶりにされた妹の復讐に、村人を全員焼き殺してしまったと思われる。
StarDustに登場する少女は偶然にも恋人が他の女と幸せそうにしているのを目撃してしまい、恋人を殺害した上に自殺までしてしまっているようだ。

どの少女も、とてもまともとは言い難い。
頭のネジの吹っ飛び具合は、例の計画を思い付いた仮面の男といい勝負である。
いやSacrificeの少女は同情の余地があるかもしれないが、妹のことを盲目的に信じている節があり、やはりまともではなさそうだ。

それで、そんな少女たちがエルにそっくりの容姿だったとしても、私が仮面の男だったらまず近付かない。
見た目似てるけどあれはないなー、こわ、とビビりながら退散するだろう。

それなのに、実際の仮面の男はそのようなまともでない少女たちについて、自分の理想の少女なのではと考える。
だとしたら仮面の男が理想とする少女とは、その少女たちの要素を合わせ持った、とんでもなくやばい人物ということになってしまう。
もはやネジが数本、数十本どころの話ではない。
相乗効果で数百本単位で頭のネジが吹っ飛んでいる人物、それが仮面の男の理想とする少女、ということになってしまうのだ。
エルやばいよエル。

果たして、本当にそうなのだろうか?


仮面の男は狂っている、だからその理想も狂っている。
そう考えることもできる。
仮面の男の理想について具体的なことは一切作中に登場しないため、それが狂気じみたものである可能性は否定できない。

しかし、登場人物の大半が狂っているElysionでも、この人物は狂っている、だから支離滅裂な行動を取る、というような人物は登場していない。
各人物の先天的もしくは後天的な、独特な価値感を由来とする行動、それがElysionにおける狂気であり、その行動には一貫性がある。
例えば仮面の男は、自分の理想、自分の娘を至上とし他を省みない性質があり、そこに由来する常軌を逸した行動を取る。
だが行動内容自体は割と合理的であり、目的に沿わない行動は取っていないのだ。

そして、仮面の男の理想が常軌を逸したものである、ということを示す根拠は見当たらない。
可能性は否定できないが、そうでなければならない、と断定もできない。


「エルの楽園[→side:E→]」におけるエルの行動、傍らに屍体が横たわっているのに問いかけを繰り返す姿から、エルは狂っている。
そう考えることもできる。
確かにその行動は少々常軌を逸している面がある。

しかし、傍らに横たわっている屍体が仮面の男のものであるとするなら、自身の屍体に対して問いかけを繰り返すエルの姿を見ることはできないはずである。
仮面の男は幽体離脱したような状態で、自身の屍体とエルの姿を見ていた、というのなら辻褄は合うが、そのようなことは起きていない。
また、このエルの行動は父親の死を認められず混乱している、とも取れる。
仮面の男がエルを探す際、わざわざそんな姿を他人に見たりするだろうか、しかも5回も。
いまいち説得力に欠けると言わざるを得ない。


作中に描かれていないがエルはそのような危険人物だった。
そう考えることもできる。

しかし、作中で描かれているエルとは、体が弱い少女である。
とても誰かを殺せるようには思えないし、またその描写も存在しない。
なんらかの原因で今はそうだが、以前はお転婆だったと考えることもできるが、根拠がない。
というか、エルの人物像自体がはっきりしないのだ。
仮面の男は「エルの肖像」で過去、「エルの天秤」で現在が描かれている。
一方のエルは、過去も現在も特に描かれていない。
仮面の男が死にかけで帰ってきて、仮面の男が死んだ後に死ぬ、そのくらいの出番しかない。


このように、少し考えただけではまるで辻褄が合わないのである。
そして、この問題は非常に重要だ。
仮面の男がArkなどの少女を探しに行く理由がなければ、この物語が成立しないではないか。
それに、どのように解釈したところでこの問題は必ず付いて回る。
私が他の考察に不満を覚えたのは、この問題について納得の行く説明が無かったためである。

仮面の男について色々考えるのはいい。
作中多く登場するし、謎めいた行動も多いため考察のしがいがあるだろう。
しかしながら、その行動はエルに起因することがほとんど、どころか全てと言っても過言ではない。
ならば、エルについて知らなければ、この物語の全容を把握することはできない。
いかに情報が少なかろうが、エルという少女について知る必要がある。

私はこの問題に対し、最終的に以下の疑問に答えを出すことを目標とした。


エルという少女、その正体は?


エル知りたいよエル。


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