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個人研究 - Sound Horizon - 今更Elysion考察

エルから見たElysion


次で全体のまとめをするつもりだが、その前に1つだけ。

Elysionは、仮面の男を主人公とする物語である。
作中、仮面の男については理想を抱いた経緯、それをどう叶え、叶えた後どうなったか、その末路、そしてその後について語られる。
Arkなど5曲についてはそれぞれに登場する少女が主人公だろうが、全体で考えれば主人公は仮面の男と言っていいだろう。

これまでに仮面の男の行動、思惑を追い、話の流れを大体は考察したつもりだ。
そしてそこにはエルが大きく絡んでいるが、エルについてはその異常性…失礼、特徴を明らかにした程度だ。
エルの特徴について説明する中で、多少はエルの考えについても述べた。
しかし実際のところ、エルにとってはElysionという物語はどういうものなのだろうか。

ここを考えなければ、エルは物語を構成するただのパーツというだけになってしまう。
そんなこともない気がするが、そういうことにしておこう。


とはいえ、作中の話の流れから考えるのは困難だ。
これまでに何度も述べている通り、作中におけるエルの出番は非常に少ない。
そこだけで何かを考えるのは無理がある。

そこで、作中よりも前のことから考える。
エルは生まれ変わっても記憶がリセットされていない。
それなら、そこから考えていけば作中のエルについてより理解できそうである。

しかしながら、問題はある。
作中より前のことは当然作中には登場していないわけで、具体的な話はほとんどできないのだ。
よって、大半が抽象的な話になるだろうことをあらかじめ断っておく。


さて、どこから始めるべきか。
一番最初は「エルの絵本【魔女とラフレンツェ】」になるだろうが、ここでエルについて考えられることはあまりない。
ラフレンツェの呪いにより、エルに例の特徴が発現した可能性がある、その程度だ。
それ以上に考えられることはない。

というわけで早速作中の流れの一番最初、「エルの肖像」より前の時点から考える。
以前にも述べたが、作中と似た流れは何度も繰り返されている可能性がある。
しかし、それは毎回のことなのだろうか。
例えばエルの前世、つまり直前の人生でも作中と似たようなことが起きていたのだろうか。

おそらくだが、それはない。
エルは変わった特徴を持っているものの、そこを除けばただの人間のはずである。
仮面の男だって同様に、死後奈落から現世に出現しているような超常現象を起こしているが、それを除けば仮面の男の行動はただの人間のそれである。

ただの人間に、因果関係を思い通りにできる力なんてあるようには思えない。
例えば、エルが狙って仮面の男の娘として生まれるとか、そういったことはできないだろう。
仮面の男にしたって、エルの魂を引き寄せて自分の娘として生まれさせる、なんてことはできないはずだ。

そう考えると、作中の流れもこれは完全に偶然だろう。
44番目のトラックに、その男の妄念によって物語は幾度でも繰り返される、といった感じのセリフがあるが、これがなんらかの因果関係を示しているとは考えにくい。
そもそも、仮面の男が理想という名の妄念を見つけられるかどうかという部分が偶然なのだから。


エルは仮面の男の娘として生まれるまでは、どのような人生を送っていたのだろうか。
正直言って、あまりいい人生ではなかったのではないだろうか。
理由は2つある。

1つは、おそらく作中と同じように弱い肉体を持って生まれてきてしまうこと。
前にも述べた通り、これはエルが死を望むようになっている原因の1つである。
その肉体が疎ましく、生きていることが楽しくないのだ。

もう1つは、エルの価値観が影響している。
エルは死生観が逆転してしまっている。
それによって、おそらくエルは笑うべき時に笑えず、泣くべき時に泣けない。
また、笑うべきでない時に笑ってしまい、泣くべきでない時に泣いてしまう。
瀕死の仮面の男を見た際のエルの反応から考えても、エルがそのような反応をしてしまう可能性はある。

それを見た家族や、周囲の人間はどう思うだろうか。
不気味に感じ、エルを蔑み、遠ざける。
エル自身、生まれ変わっても記憶が続いている以上、素の反応をすればそのような扱いを受けることは経験から理解しているだろう。
なので、素の反応を出さないよう気を付けはするだろうが、それで完全に抑制できるとは思えない。

その結果、エルには誰も寄付かなくなるし、誰かと愛し合うなど夢のまた夢だろう。
ニクキラフレンツェの思惑通りというわけである。
そしてそのような人生は、人にもよるだろうが一般的には楽しくないはずだ。


そういう楽しくない人生を、エルは何度も繰り返してきたのだ。
作中と似たような流れになる人生もあったかもしれないが、それは偶然でしか発生しない。
ならば、そのような人生とは比較にならないくらい多く、楽しくない人生を繰り返しているはずだ。

その繰り返しの末に辿り着いた、作中の出来事。
ついに現れた、自分を愛してくれる人。
うれしかったはずである。

その喜びは仮面の男が理想を実現した時と同じくらい、いやそれ以上だろう。
なぜなら、エルには自分の願望を叶える術がない。
その上、その願望は何世代も前からのものだ。
もしかしたらそれは数百、数千、いや数万世代にもなるのかもしれない。

そう考えてみると、どうだろう。
仮面の男は、自身の理想を追い求め、その末にエルを見出したと思っているかもしれない。
いや、実際その通りなのだが。

しかし、それはエルも同様なのだ。
数多くの世代を越え、ついに仮面の男という理想の相手を見出した。

仮面の男がエルを見出したのか、エルが仮面の男を見出したのか。
物語はページの外側に…いや、違うか。


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